【先週から今週、実家へ帰省しています】
2年前の夏、ちょうど母が骨折と脳出血を同時に起こしました
(過去の投稿で、覚えてる方もいるかもしれません)
思い起こせば
あの日、仕事が終わって留守電を再生すると
普段は割と冗談ばかり、ひょうきんに言う父が
聞いた事のないようなマジメぶりで『もしかしたら、、お母さん死ぬかもしれん』
と。
(元々、両親は2人共に身体障害者手帳保持者のため
日々ケンカばかりする割には、結局のところ
互いに互いを必要としあっているのです)
そんな父の電話のあった翌日、仕事を全て休んで飛行機に飛び乗り帰省
会うとすぐにネット検索も不慣れな父にインターネットで調べてあげながら
『誰も付き添いのない病室での介助サポートを頼む場合』
などなどキーワード検索しながら調べると
費用が想像以上に高額だと初めて知りました
起きてみないと分からないことって
こういう事なんだなぁ、と感じたりしつつ
担当医には
『娘さんですか。残念ながら、お母さんは一生車椅子です』と
家族用の個室でMRI写真と共に宣告されました
結局それからわたし自身は、といえば
母が緊急入院した病室に1週間泊まり込み
神経麻痺で一生歩けない、と言われた足に
麻痺・痛み緩和用のオイルを塗り続け
『病室が臭いのが氣になる』と
看護婦さん達が来るのを嫌がる母の個室で
ラベンダー・フランキンセンスで芳香浴させて数日。
いつしか看護師さん達に(髙橋さんの部屋はいつもいい香りで癒されるね)と
褒められて喜ぶ母を見て、次は
(痛い時は、ありがとう、と言うといいんだよ。
だって、まだ神経が通ってるから痛みを感じられるんだよ)
と言い聞かせたり。
母や父のメンタルを『不安ではなく、氣もちが安定している状態』
を最優先にしました
(あとで母に話すと『覚えてない』と言っていましたが)
あれから2年
母は持ち前の負けん氣とバイタリティで驚異的な回復力を見せました
つまり
『残念ながら一生、お母さんは車椅子です』と
MRI写真と共に宣告した医師の言葉もなんのその
今じゃ杖を使いつつ自力歩行をして
ビールも毎晩欠かさない母に戻りました(笑)
そんな元通りに近づいた(決して元に戻ったわけではない)母と父に
去年の2月、再び帰省した時
それぞれに一冊ずつノートを手渡したのでした
母も、そして父も、それぞれが経験済みだと思うけど
あんなに突如バタバタとした中で
自分が意識がない時にどうしたい、どうして欲しい
そう言うことは全く話題にもできないし
する氣にもならない
無理矢理、書かなくていいから
元氣なとき、氣が向いた時に、ノートにある項目について
自分の本心と対話して書いて欲しいと
実家に置いてきたマンダラエンディングノートでした
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今ここにいる、ほとんどの誰もが必ずいつか向き合う現実なのですが
この世を旅立つ時にどうしたいか?どうしておきたいか?
自分自身の事ならまだしも
親として子どもから言われて、いい氣のする親はいないでしょう
(ほぼ断言できます)
だけど2年前、母の身に突如起きた脳出血や
(カムバックしてきたので、もう過去の事になってますが)
いずれは齢を重ね、意識や記憶が曖昧になっていく前に
自分らしく生を全うして幸せに生きるために
伝えておきたい事、
知っておいて欲しい事、
などを忌憚なく知りたい、と思っていたのです
一年に1度(多くても2度くらい)しか直接会わない両親
それぞれの人生を悔いなく、謳歌して最後まで生きて欲しいと
思うのは、これまでわたしが親しい人を携わってきた仕事柄
何人も見送ってきたから故に
思うことなのかもしれません
(つづく)